つながりに生きる

2024年6月23日 礼拝より

「つながりに生きる」 永松 博

コリント人への第二の手紙9章1~8節
「人のためにすることは巡り巡って自分のためになる/そして人は自分ではない
誰かのために信じられないような力を出せる生き物なんだよ」(『鬼滅の刃』117 話)
アニメの台詞が心に留まりました。また、その中では「情けは人の為ならず」という
ことわざの意味も紹介されていました。昨年、文化庁国語課が行った「国語に関する
世論調査」によれば、約半数がこのことわざを真逆の意味で「人に情けを掛けて助け
ることは、結局はその人のためにならない」との意味で理解していたとの結果が出て
いました。けれども、辞書が示す本来の意味は「情をかけておけば、それがめぐりめ
ぐってまた自分にもよい報いが来る。人に親切にしておけば必ずよい報いがある」
(『日本国語大辞典第 2 班』)です。このことはパウロのことばとも無関係ではない
気がします(「5 だから、わたしは兄弟たちを促して、あなたがたの所へ先に行かせ、
以前あなたがたが約束していた贈り物の準備をさせておくことが必要だと思った。
それをしぶりながらではなく、心をこめて用意していてほしい。6 わたしの考えはこ
うである。少ししかまかない者は、少ししか刈り取らず、豊かにまく者は、豊かに刈
り取ることになる。7 各自は惜しむ心からでなく、また、しいられてでもなく、自ら
心で決めたとおりにすべきである。神は喜んで施す人を愛して下さるのである」)。
多く与え、喜んで施す人は、神に愛されて巡り巡って豊かに刈り取るのだ、との意味
としても読めるのではないかと思います。ただしパウロの勧めは、自らの豊かさへの
願いを越えて、もっと内から湧きあがる和解の福音からなされていると思います。神
の和解の福音に心奪われ、十字架のイエスに振盪させられていたパウロは、内に働く
弱さという神の強さによって、隔ての壁が崩されたこと、破れはもう繕われているこ
と、すべてはバラバラ、別々、無関係ではなくて、地続きでつながっていて、関係し
ているとの福音を委ねられた使者として、愚直にみことばに生きようとしたのです。
きょう 6・23 は沖縄「命どぅ宝の日」です。なぜ沖縄か。つながっているからです。
いま沖縄で起きていること、これから起ころうとしていることは、やがて日本全体で
も、世界でも起こることだからです。あれもこれもつながっています。だからわたし
たちはつながって分かち合って、福音を生きる。「たれもかれもが力いっぱいにのび
のびと生きてゆける世の中/たれもかれも「生まれて来てよかった」と思えるような
世の中/じぶんを大切にすることが/同時にひとを大切にすることになる世の中/
そういう世の中を来させる仕事が/きみたちの行くてにまっている/大きな大きな
仕事/生きがいのある仕事」(吉野源三郎『君たちはどう生きるか』)

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