与えられ、分かち合って

2024年5月12日 礼拝より

「与えられ、分かち合って」 永松 博
コリント人への第一の手紙12章1~11節

賜物を意味するカリスマは、多くの人を魅了する才能や能力のことで、「自分で身
に付けることのできる誇らしいもの」のように考えられている面があるかもしれま
せん。
聖書は、カリスマ(4 節「霊の賜物」)は神から「与えられるもの」だと繰り返し
ます(8,10,11 節)。
賜物は与えられるものであり、個人が誇るものではないと受け止めなおして創作
活動をする現代作家エリザベス・ギルバートさんを知りました。彼女は、2006 年に
発表した体験記が大ヒットし、世界 30 カ国で翻訳され、1000 万部を売り上げた人
気作家となりました。しかし大ヒット後、このまま創作活動を続けても、過去の自分
の栄光を越えることはできないと考え、悩みに陥ったと言います。創作活動は自分の
才能、能力によって行うものとの誤解が、ヒット作を書いた自分の才能に傲慢にさせ、
上手くいかないと自己卑下に陥る原因となっていたと気付いたそうです。彼女は「創
造性というのは、自分の中にあるのではなくて、自分の外の神様に宿るものだ」と受
け止め直し、自分一人で四苦八苦して良い作品を生むという創作のプレッシャーか
ら解放され、マイペースで執筆を続けることができるようになったと言います。
コリント教会でも、霊の賜物競走が起こっていたようです。そのような中で、パウ
ロは「すべて…は、一つの同じ御霊の働きであって、御霊は思いのままに、それらを
各自に分け与えられるのである」(11 節)と言いました。一人ひとりには、それぞれ
違った賜物が与えられている。賜物は与えられているものだから、誇るべきではない
し、比較によって自己卑下すべきでもない。共同体の中で、他者と共に生きるとき、
違いを認め、受け入れ、喜び合い、感謝することができる、と言います(7 節「各自
が御霊の現れを賜っているのは、全体の益になるためである」)。それぞれの違った
賜物が共有されていくとき、お互いが自分には与えられていない賜物の恵みに与る
ことができます。それぞれの賜物は、自分のためにのみ与えられているのでなく、他
者のためにも与えられているのです。
わたしたちは、賜物は神から自由に分け与えられたものと受け止めて生きましょ
う。また比較を越えて、わたしたちそれぞれに与えられている賜物を分かち合って生
きましょう。それらすべては、わたしたちに「イエスは主である」(3 節)と告白さ
せる聖霊から出るものです。

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