人間にはそれができる、人間だからそれができる

2024年9月29日
「人間にはそれができる、人間だからそれができる」 永松 博
創世記50章15~26節
30 年前(1994年)、アフリカのルワンダで大虐殺事件が起こりました。わずか三カ
月の間に多数派のフツ族が、少数派のツチ族80万人を殺害し、人口の10%が犠牲
になった事件です。現地で被害者と加害者の和解のために働く佐々木和之さん(日本
バプテスト連盟)は、次のように言います。『私は、ルワンダのクリスチャンが、「私
は加害者を赦しました」と言うのを度々聞いてきました。しかし、被害者の人たちが
「赦した」と言うとき、それでその人たちの心から憎しみが消えてなくなっているわ
けではないのです。「赦した」という言葉は、多くの被害者たちにとって「赦しの完
結」を意味する言葉ではなく、むしろ、「私は、これから赦しの道を歩んでいくのだ」
という「決意」の言葉なのです』。ヨセフ物語の最終章に出てくる、ヨセフの赦しの
言葉も、赦しの道を神と共に歩んでいく決意の言葉だったのかもしれません(『「 19
恐れることはいりません。わたしが神に代ることができましょうか。」20 あなたが
たはわたしに対して悪をたくらんだが、神はそれを良きに変らせて、今日のように
多くの民の命を救おうと計らわれました。21それゆえ恐れることはいりません。わ
たしはあなたがたとあなたがたの子供たちを養いましょう」。彼は彼らを慰めて、親
切に語った』)。実際、ヨセフは兄弟たちと共に赦しの道を最後まで生きました(「22
このようにしてヨセフは父の家族と共にエジプトに住んだ。そしてヨセフは百十年
生きながらえた」)。 1939 年に水俣市茂道の網元の一人娘として生まれ、1969年水
俣病第一次訴訟団原告に加わり、70年頃から自らも発症、74年頃から水俣病患者と
して認定され、95年に水俣市立水俣資料館の語り部となった杉本栄子さんは、恨ん
でいた水俣病を「私の守護神だ」と言いました。人間の心や宗教、社会問題等をテー
マに執筆活動を続ける田口ランディさんも言います。「企業が悪い、政治家が悪い、
役人が悪い、と怒る。そういうとき私は何も信じていない。ただ、加害者に怒りを感
じているだけ。加害者をねじふせ、力ずくでも押さえ込んで謝罪させたい。それは私
憤だろう。人間を信じられなければ何も解決できない。信じるしかない。信じてしま
うしかないんだ。人間を信じねば、どうやって何を解決するのか?同じ弱さをもつ人
間として共に祈り償うことが、憎しみの鎖を断ち切る道。人間にはそれができる。人
間だからそれができる」(『水俣 天地への祈り』)。苦労の末、奴隷から政府高官に上
り詰めたヨセフは、当時の王の如く神に成り代わって力で兄弟たちを謝罪させるこ
ともできたでしょう。しかし、彼は同じ弱さを持つ人間として、赦しの道を選び取り
生きました。加害は決してゆるされません。しかし、人間は信じられ、「恐れること
はいりません」と語られ、また誰かに語ることで生きられるのかもしれません。

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