分かち合う

2024年7月14日 礼拝より
「分かち合う」 永松 博
創世記25章19~26節

『29 ある日ヤコブが、あつものを煮ていた時、エサウは飢え疲れて野から帰って
きた。30 エサウはヤコブに言った、「わたしは飢え疲れた。お願いだ。赤いもの、そ
の赤いものをわたしに食べさせてくれ」。彼が名をエドムと呼ばれたのはこのためで
ある。31 ヤコブは言った、「まずあなたの長子の特権をわたしに売りなさい」。32 エ
サウは言った、「わたしは死にそうだ。長子の特権などわたしに何になろう」。33 ヤ
コブはまた言った、「まずわたしに誓いなさい」。彼は誓って長子の特権をヤコブに
売った。34 そこでヤコブはパンとレンズ豆のあつものとをエサウに与えたので、彼
は飲み食いして、立ち去った。このようにしてエサウは長子の特権を軽んじた。』
この兄弟のやり取りは、まるで商談のようです。互いのニーズが満たされる仕方で
条件が提示され、互いの合意の上に、事が動いていきます。互いのニーズとしては、
兄の側は「いま空腹を満たすこと」であり、弟は「長子の特権を得ること」でした。
本来であれば釣り合うはずもない両者のニーズが、兄の空腹という極限の状況下で
は、成立したのです。そもそも、兄弟の関係性にひずみが生じていたようにも思われ
ます。本来、兄弟の関係性が良好だったのであれば、きっと弟は兄に無償で食事を与
えたような場面であったかもしれません。しかし、この兄弟の間に会った不公平がそ
うはさせなかったのでしょう。不公平のひとつは、親の偏愛でした。父は、長子を特
別に愛したのです(28 節)。特別な悪意があったわけではありませんが、当時の風習
が歪みをもたらしていました。実は、長子を偏愛した父イサクも、この家で、代々踏
襲されてきた長子の特権の風習に振り回された人物でもありました。なぜなら、家長
となった父イサクも、背景をたどれば次男だったからです。イサクは、次男の気持ち
も分かるはずでした。腹違いの長兄イシマエルの存在がいたからです。しかし長子の
特権にこだわりの強かったであろう当時は、結果として長兄イシマエルとその母は
追放され、長男としてイサクが家を継いだのでした。連綿と続く不公平は、関係性を
破壊します。最初から特権を持つ者は、特権の価値を見失い(あるいは軽んじ)、最初
から不公平の中に置かれた者は、正当性の名のもとに共感力を失い、変わりに商談が
はじまるのです。そのような歴史の中で、イエスはふたたび分かち合う神の国を生き
始められました。神の国はその時から始まりました。「一体いつ、貧しい人の貧困は
止むのですか?」との問いに対し、マザー・テレサは、「あなたと私が分かち始めたそ
の時です」と答えました。主イエス・キリストによってつなげられたわたしたちは、
分かち合って生きることができます。

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