和解の務

2024年6月16日 礼拝より

「和解の務」 永松 博

コリント人への第二の手紙5章16~21節

「18 すべてこれらの事は、神から出ている。神はキリストによって、わたしたち
をご自分に和解させ、かつ和解の務をわたしたちに授けて下さった。19 すなわち、
神はキリストにおいて世をご自分に和解させ、その罪過の責任をこれに負わせるこ
とをしないで、わたしたちに和解の福音をゆだねられたのである。20 神がわたした
ちをとおして勧めをなさるのであるから、わたしたちはキリストの使者なのである。
そこで、キリストに代って願う、神の和解を受けなさい。」
法律用語で和解は、争いのある者同士が、お互いに譲り合い、納得できる妥協点に
おいて争いをやめる契約のことを意味します。しかし、パウロが語る、神とわたした
ちの和解の場合、お互いの譲り合いや妥協を意味しません。「神は…和解させ」(18
節)、「神の和解」(20 節)とあるとおり、和解の主体は神であり、わたしたちは、神
の和解の受け手になっています。神は、譲歩のための条件や罪過の責任範囲をわたし
たちに提示したり、負わせはしないで、ただキリストによって和解を一方的に差し出
すというのです。神は、条件を提示して守らせたり、賠償を要求することなく、キリ
ストによって、和解を完了させるというのです。法律的な和解の概念からすれば、あ
り得ない出来事を、聖書は「和解」と呼んでいます。そして、和解の相手に対して何
の拘束力も、強制力もなく、キリストによってただ差し出されるというこのあり得な
い神の和解こそが、実は最大の効力を持ちます。「和解(καταλλασσειν)」という言葉
は、「変える」という意味を持つ言葉です。ですから、和解を言い換えるなら「神は
キリストによって、わたしたちをご自分に変えさせ」る、「神の変換」と読みかえる
こともできるでしょう(「17 だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られ
た者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである」)。
M・L・キング牧師は説教で次のように語りました。「黒人たちよ、我々の運動(公民
権運動)の目的は、白人に勝つことではない。白人の中にある、誤った敵意をなくす
ことにある。敵意をなくすために敵意をもってしたのでは、報復の悪循環に陥るばか
りである。敵意をなくすためには愛するしかないのだ。主イエスの言われた『汝の敵
を愛せよ』とは対立と差別を克服する最も具体的で効果のある戒めである。だから黒
人たちよ、白人の兄弟姉妹を愛そうではないか」。
排除の言葉を投げ合うのではなく、共に生きることを実践する所、即ち「和解の務」
に生きることがわたしたちにゆだねられた福音です。

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