大地を信じて

2024年4月14日 礼拝より
「大地を信じて」  永松 博
コリント人への第一の手紙3章1~9節

手紙の差出人であるパウロは、農と教会を重ねて語ります。「わたしは植え、アポロは水をそそいだ」(6節)と。教会の誕生に関わったパウロ、その教会を引き継いだのがアポロでした。「しかし成長させて下さるのは、神である」とパウロは言います。「…大事なのは、成長させて下さる神のみである」(7節)と言うのです。
思えば、イエスも当時の農や農民の現状を良く知り、農にたとえて教えた方でした。マルコによる福音書4章3~9節には、種をまく農民のたとえがあります。たとえの中で種はそれぞれ、道ばた、土の薄い石地、いばらの中、良い地に落ちます。どの種も実を結ぶには至りませんが、最後の種だけは芽生え、育ち、多くの実を結んだという話です。これは、当時の農民の現実に基づいて語られた話しとして読む向きもあるのではないでしょうか。当時、良い地のほとんどは一握りの地主の物でした。それは現代にも当てはまります。そして、大勢の貧しい農民たちは、生きるために条件の良くない不毛な土地にも種を蒔くほかありませんでした。イエスは、小石の多い土地、茨の生える土地にも種を蒔き続ける他ない人びとの姿を見ていたのかもしれません。しかも、根気よく不毛の地を耕し、水を引き、茨を刈り、蒔かれた種のほとんどが実を結ぶには至らない現状と、その時の言いようのない気持ちや、厳しい生活状態をよく知っていた上で語ったたとえであるとすれば、新たに響くものを感じます。そしてイエスは、そのような農民の置かれる過酷な状況にも関わらず、続くマルコ4章26~28節で「神の国は、ある人が地に種をまくようなものである」と語るのです。イエスが語った神の国は、大地の力を信じて耕し、種を蒔き、水を与えて労働し、大地の恵みを受け取って分かち合い、生きる人そのものだと語っているのではないでしょうか(「夜昼、寝起きしている間に、種は芽を出して育って行くが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。地はおのずから実を結ばせるもので、初めに芽、つぎに穂、つぎに穂の中に豊かな実ができる」)。
パウロも、アポロも、どちらも大地の力に信頼してそれぞれに「仕えて」(5節)生きた人たちであるという意味で一つでした。
なるべくよい地を所有し、多くの実りを独占しようとする社会の中で、わたしたちは、大地を耕し、種を蒔き、水を与え、それぞれ「主から与えられた分に応じて」奉仕に生きましょう。互いの働きを比べ一喜一憂し、ねたみ争うのでなく、成長させてくださるお方に信頼して労働に生きるところに神の国はあるのです。

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