宗教改革記念日を前に

2024年10月27日
「宗教改革記念日を前に」 永松 博
エレミヤ書23章1~6節(聖書協会共同訳)
本日、衆院選投開票日で、国の代表者らが選出されます。きょうの聖書の前章には、
国の代表者や、家臣、民に向かって、政治の基本姿勢に関するエレミヤの預言が記さ
れていました。「22:2 ダビデの王座に着くユダの王よ。あなたもあなたの家臣も、こ
れらの門から入るあなたの民も、主の言葉を聞け。主の言葉を聞け。3 主はこう言わ
れる。公正と正義を行い、搾取されている者を虐げる者の手から救いなさい。寄留
者、孤児、寡婦を抑圧したり虐待したりしてはならない。また無実の人の血をこの場
所で流してはならない。4 もし、あなたがたがこの言葉をしっかりと果たすなら、ダ
ビデの王座に着く王たちは戦車や馬に乗り、王も家臣も民も、この家の門の内に入
ることができる。5 しかし、もしこれらの言葉に聞き従わなければ、私は自分にかけ
て誓う。この家は廃虚となる――主の仰せ。」為政者が守るべきを守るなら栄え、そ
うでなければ廃れるとの言葉です。これは、現代にも当てはまるのではないでしょう
か。第二次世界大戦後(1948.12.10)、国連第 3 回総会において採択された「世界人権
宣言」の前文には、「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることので
きない権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎であるので
…すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準として、この世界人権宣言
を公布する」とあります。戦争という過ちの後、人は、少数者も含めてすべての人の
人権を保障することが、国際秩序や国、社会の秩序存続の基礎となると改めて宣言し
ました。これは、「少数者に対する権利を保障すれば自分たちが得られるはずの権利
が減る・無くなるから、自分たちの権利を守ろう」という考えこそ誤りであり滅びる
と教えています(「少数者から権利を剥奪することが、多数者の権利の擁護・保全に
なることは絶対に無い。むしろ、少数者の権利を保障しない社会は、多数者の権利も
保障しない」2023.9.21 李明生師)。あらゆる共同体にも同様の事が言えるでしょう。
南ユダの王たちに関する預言集(21 章~23:8)においてエレミヤは、コンヤ(※ヨヤ
キンの別名)にどこか期待しつつも(22:28)、「22:30 彼の子孫のうち/栄えてダビデの
王座に着き/再びユダを治める者は誰もいない」と言いました。きょうの箇所でもエ
レミヤは、希望を、地上の政治的権力としてのダビデ王朝に対してではなく「3 群れ
の残りの者を、追いやったすべての地から集め、自分たちの牧場へ帰らせる」と語り
神に置いています。また将来を、南ユダに残った者たちにではなく、バビロン捕囚さ
れた人たちに託していった預言者でした(24 章)。同時にエレミヤ自身は南ユダに残
って、バビロンに反抗し安易な回復を騙る偽預言者と闘って生きました(28 章)。今
週 31 日、教会は奇しくも宗教改革記念日を迎えます。わたしたちは何処に希望を置
き、いま何を語り、何を実行していくかが問われているように思えてなりません。

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