教会、それはだれのことか

2024年10月6日
「教会、それはだれのことか」 永松 博
エレミヤ書1章1~10節(聖書協会共同訳)
きょうから2カ月の間、エレミヤ書を開きます。明治・大正期のキリスト教思想家
の内村鑑三は、「特愛の預言者はエレミヤ」(『内村鑑三聖書注解全集第六巻』教文館,
1960)と言いました。内村にとって預言者の内面や感情を色濃く伝えるエレミヤは、
最も親しい友人であり、共感を覚える存在だったようです(『預言者といえば、いか
にも厳格にして近づくべからざるもののように思われるが、…エレミヤに至っては、
…親しき友人として彼に近づくことができる。…旧約聖書人物中で…最も親しんだ
ものはこの「涙の預言者」である。彼はまた情の人であった。彼の理性はしばしば情
の支配するところとなった。彼は怒った。泣いた。…彼のごとくに強い人はなかった
が、またそれと同時に彼のごとくに弱い人はなかった。余は幾たびとなく繰り返して
エレミヤ書を読んだ。余の古き聖書は、そのエレミヤ書において、朱字をもって記入
されたる感想をもって満たされている。余はエレミヤの実験はことごとく余の実験
であるかのごとくに感ずる』。「エレミヤがわからずして聖書はわからない。またイエ
ス・キリストはわからない。したがってキリスト教はわからない。」「新約にイエスの
福音を解せんと欲せば、何びともエレミヤの研究を怠ってはならない」)。
祭司の子エレミヤは、若くして預言者として神から召されました(5)。エレミヤは、
宗教家の子であるからこそ最も当時の宗教の欠点をも知る者として、本来の宗教を
取り戻すために内側から改革を語った人でした。わたしたちも今日、教会とは何であ
るかを問い、必要ならば向きを変え悔い改めねばならないのではないでしょうか。
神の召しに対してエレミヤは、若さを理由に断ろうとしました(6)。しかし、神は
「7「『まだ若い』と言ってはならなむしろ、私があなたを遣わす相手が誰であろう
と赴いて、命じることをすべて語れ。8 彼らを恐れてはならない。この私があなたと
共にいて、救い出すからだ」との励まし立たせました。来年この国は、日本の高度成
長を支えた団塊の世代が後期高齢者となり、人口の 2 割近くが 75 歳以上となりま
す。医療・介護体制維持が困難になり、社会保障費も増える一方、働き手は減少(人
手不足)し、後継者不足による休廃業が増えると言われています。教会も関係諸団体
も同様です。その上、最近「宗教は老年のことである」との言葉も聞かれ、益々宗教
は若手にとって遠くなっています。しかし、神の語りかけに若手は奮い立たされます。
また、エレミヤ書は、若手だけの文書ではありません。国の悲痛な境遇にあって、
エレミヤの献身はくじけることなく、その精神は老年になってもますます研ぎ澄ま
されました。迫害にあっても、神の正義を語って少しも譲ることなく、預言者として
の使命を最後まで果たし通しました。いまこの時代にあって、わたしたちが教会です。

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