神の推し

2023年11月5日の礼拝より
 
「神の推し」  永松 博

イザヤ書42章1~9節

「1わたしの支持するわがしもべ、わたしの喜ぶわが選び人を見よ。…2彼は叫ぶことなく、声をあげることなく、その声をちまたに聞えさせず、3また傷ついた葦を折ることなく、ほのぐらい灯心を消すことなく、真実をもって道をしめす。4彼は衰えず、落胆せず、ついに道を地に確立する」
神が選んで、推すこの「しもべ」なる存在は、これまでの預言者や支配者たちとは違った(2節)独自性を持っていると言われています。これまでの支配者たちとは違って、権力を握って命令、強制、統制しない。一方、預言者たちのように、さばきと批判の声を延々語るでもない。どちらも否定形で語られているので、神の推すしもべの全容ははっきりとはしないまでも、今までにない「新しさ」を持つ人だったようです。
また、「3傷ついた葦を折ることなく、ほのぐらい灯心を消すこと」の無い人だと言われています。葦は折れやすく、葉も傷みやすく、一方から風に吹かれるとその方向に葉が向いてしまいます。時代の潮流、風潮という風に吹きつけられながら生きるしかない脆く弱い人の姿を思わせます。バビロン捕囚で故郷を奪われた状況や、神への信仰が無くなりかけているイスラエルの民の状況なども重なります。神の推す「傷ついた葦を折ることがない」しもべとは、傷ついた葦の傷をそのままに、もうそれ以上折ったり、傷を増やしたりはしない、穏やかな人だと言う意味を越えて、1節や5節に「霊(ルーアハ)」という風とか息とも訳される言葉が出て来るように、神の推すしもべは、神から与えられた霊(1節)によって、なぎ倒された葦を起し、立たせる人です。同じように「ほのぐらい灯心を消す」ことがない、も手をかざして優しく火が消えないように守るだけでなく、神の推すしもべは、消えかかっている火を再び燃え⽴たせます。神は、推すしもべを「もろもろの国びとの光」とし、見えなくなっているものを見えるようにして、捕らわれを解放されるといいます(6節)。
「見よ、さきに預言した事は起った。わたしは新しい事を告げよう。その事がまだ起らない前に、わたしはまず、あなたがたに知らせよう」(9節)。さて、まったく新しい仕方で真実を現わし、優しく柔和で、倒れる者を起し、見ようとしてこなかった暗部にも光を当てて解放へと導く神の推すしもべとは、いったい誰のことでしょう。神に忠実な人であることは確かです。人生の中でそのような信仰者に出会えたなら幸いです。またわたしは「主イエスその人ではないか」と思わずにはいられません。

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