2024年1月14日の礼拝より
「いとよきものはさらに先にある」 永松 博
マルコによる福音書14章3~9節
始めがうまくいけば、最後までうまくいくとの諺に「はじめよければおわりよし」があります。その意味では、2024年の第一歩に起こった能登半島地震は、被災地を激しく揺さぶり、新年を迎え、祝うすべての者たちの心をも揺さぶり、「今年はどうなってしまうのか」「この先に希望はあるのか」と不安に陥れました。しかし、きょう与えられた聖書箇所は、「いとよきものはなお先にある」との希望を語っているように思います。
人生は、突然の災害や苦難や病があり、また喜びも楽しみも祝いもあります。人生は、片面ではなく両面でしょう。ヨハネによる福音書1章、2章の場面もこれと似ています。1章の背景は、きびしく、またおごそかです。何もない荒野で禁欲と孤独に立つバプテスマのヨハネが、ヨルダン川のほとりで悔い改めを説き、罪のゆるしのバプテスマを授けている光景です。一方2章の背景は一変して祝宴です。飾り付けられた邸宅に着飾った二人が並び、集う客にはたくさんの料理と酒が振舞われ、音楽が溢れる結婚披露宴です。どちらも人生なのです。イエスはその両方を生きました。ヨハネのもとでバプテスマを受け、カナの婚礼に出席しました。
信仰の道も独りおごそかに求めるだけでなく、祝宴で喜び楽しむという両面があります。信仰とは、鋭く嘆き叫びに連帯し、低みから見直すことであり、また共に食卓を囲み祝うという両面です。特に、酒を飲み交わす祝いの場さえも、イエスが臨まれ、信仰の場となったことを思いながら、主の晩餐式に与りましょう。
さて、人生の両面は複雑に交差します。祝いの席も次の瞬間、ぶどう酒がなくなる(3節)という問題が起こりました。けれども、この問題は、ついには主の栄光が現されるに至りました。料理がしらが「いとよきものがなお先にある」ことを告白しています(10節「どんな人でも、初めによいぶどう酒を出して、酔いがまわったころにわるいのを出すものだ。それだのに、あなたはよいぶどう酒を今までとっておかれました」)。この世の多くのものが希望を与え絶望で終わるのに対し、イエスは後になるほどよいものを取り置き、与えます。はじめがだめならばおわりまでだめではなく、はじめにどんな困難があっても、後になればなるほど、とっておきのよきものを与えてくださる主イエスを信じ、連帯・共感し、喜び祝う両面を生きていきましょう。