2024年12月22日
「クリスマスのダイナミズム」 永松 博
マタイによる福音書2章9~12節(聖書協会共同訳)
礼拝『それはダイナミックな振動(ムーブメント)であって一定の場所や形式に固定した静止的なものではない。あらゆる場と、時間と、可能なる姿勢と、行為である。礼拝とは「居住地をもたない神」のこの世における伝道に私たちが参加する為の原動力たるべきものである』(深田未来生『礼拝の革新』)。
クリスマスは、キリスト・ミサ(礼拝)の意味ですが、今日の箇所における「10博士たち」の礼拝は、非常にダイナミックです。彼らは、「出かけ」、「進み」、「家に入って」、「ひれ伏し」、「宝の箱を開け」、幼子を礼拝したとあります。このような博士らとは対照的なのが、ヘロデ大王です。彼は、非常にスタティックな姿勢です(「7博士たちをひそかに呼び寄せ」、『8こう言ってベツレヘムへ送り出した「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。私も行って拝むから」』)。
キリストを礼拝し生きる者たちが心に留めるべき誘惑は、このヘロデ大王のような「居住地をもたない神」を「はっきりと定義された場所の居住神」にしようとする誘惑なのかもしれません。実際、クリスマスの夜、ベツレヘムで生まれた幼子の救い主は、定住していません。続きは、エジプトへ避難し(2:13~15)、さらにガリラヤ地方のナザレへと移住します(2:19~23)。その後も、ガリラヤ各地を旅し、またエルサレムへと進み、イエスは十字架に架けられました。埋葬後さえも、墓が空っぽとなり、死すらキリストの居住地を固定できませんでした。
そもそも礼拝とは、キリストにあってなされる働きに、応答することです。ですから必然的に礼拝は、行動的(アクティブ)であり、礼拝(Worship)と業(Work)とはつながっています。言い換えれば、礼拝は決して神のなされた業に対して、受身(パッシブ)で「有難く頂戴いたします」というようなスタティックな性質は持ちません。
毎週の礼拝や、このクリスマス礼拝が、日曜日だけの神、特定の日だけの神、あるいは教会という建物内に存在する神のように、神の居場所をわたしたちが固定化するような誘惑を越えて生きたいのです。救い主は、命の危機に直面し、避難生活を余儀なくされるその場所に共に避難し、そこにおられます。クリスマスどころではなく、助けを求めて叫ぶその場所にまっさきに進んで行かれます。そんな救い主を探し求め、見つけ出して喜びに溢れ、宝の箱を開けて共に礼拝して生きてみませんか。大宮教会の礼拝は、そのような旅を続ける原動力たるべきものを目指していきたいと願っています。居住地をもたない救い主は、わたしたちが生きているこの世界のただ中におられ、わたしたちの日常の中の最も小さく弱いところにおられます。そこで始まっている救いのダイナミックな振動(ムーブメント)に、あなたと加わりたいのです。
【 礼 拝 】 日曜日 11時00分 ~ 12時00分 会堂 または zoom
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【 聖書の学びと祈りの会 】 水曜日 10時30分 ~ 11時30分 会堂 または zoom
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