2024年3月31日 礼拝より
「二度振り返って生きる」 永松 博
ヨハネによる福音書20章11~23節
「14 そう言って、うしろをふり向くと、そこにイエスが立っておられるのを見た。」
「16…マリヤはふり返って、イエスにむかってヘブル語で「ラボニ」と言った。…」
ヨハネによる福音書は、空の墓の外に立って泣くマリヤは二度振り返った、と伝え
ます。紙芝居作家なら、この場面をどう描くでしょう。回数にこだわらず「振り返る」
ことを強調するか、あるいは書かれていないだけで一度墓の方に向き直っていたな
ど、さまざまな解釈によって描く線もあるでしょう。ただ、今回は書いてあるとおり、
マリヤは二度振り返ったと考えてみことばを味わいます。
●一度目の振り返り 最初、マリヤの視線は死の支配領域、墓穴に向いています。そ
こにイエスは正反対の方角から顕れます。マリヤは「うしろをふり向」きます(14
節)。すなわち墓と真逆の方角、永遠の生命の側への振り返りです。復活の主イエス
は、喪失と断絶の悲しみの中にある者たちにも、希望の光として反対から声をかけま
す。一度目の振り返りによって、マリヤと復活の主イエスは、向かい合います。
●二度目の振り返り 続いてイエスは「マリヤよ」と名前を呼びます。ここで「マリ
ヤは振り返」ります(16)。聖書の記述通りイエスと対面した状態から振り返ったと
考えるなら、マリヤは再び絶望の墓穴を見つめたことになります。ただし、二度目の
振り返りは、ひとり泣いていた時とは違います。復活の主イエスの眼差しが共にあり
ました。復活の主イエスの眼差しは、背後からマリヤを見つめ、墓をも見つめる眼差
しです。こうしてイエスは、マリヤへ言います「(口語訳)わたしにさわってはいけ
ない/(新共同訳)わたしにすがりつくのはよしなさい」(17)と。復活の主イエス
に出会った者は、復活の主と共に再び絶望の墓穴を見つめることができる者です。そ
して、イエスに向かい合い、寄りかかり、しがみついていくところから、主イエスが
見つめるものを一緒に見つめて生きる者として遣わされていきます。弟子から使徒
へ変えられます。弟子は先生(「16 ラボニ」)を必要としますが、使徒は受けた教え
を伝えるために主イエスから派遣される聖霊が働く人のことです(『21…「安かれ。
父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす」。22
そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、「聖霊を受けよ。…」』)。
復活の主イエスよ、絶望の前に立ち尽くすわたしたちと出会ってください。あなた
の息を吹きかけ、わたしたちと共に現実を見つめてください。わたしたちが、二度振
り返ってあなたと共にこの世界を見つめ、生きることができますように。