2024年7月21日より
「健康ですか」 永松 博
創世記27章18~29節
健康とはどのような状態を言うでしょう。健康な体とは果たして病気や痛むとこ
ろがない状態のことなのでしょうか。ハンセン病の研究者で 20 世紀の医療開拓宣教
師としてインドで働かれたポール・ブランド博士は言います。「健康な体というのは、
自分が一番弱っているところを感じることができる」ことだと。博士は、ハンセン病
の一番の問題は顔や手足の崩れではなく、痛みを感じる神経が破壊されるところに
あることを発見しました。ハンセン病患者の方は、痛みを感じる神経が麻痺してしま
うので、自分の体が傷ついても気づかずに過ごしてしまいます。実際、かつて多くの
ハンセン病患者の方がたが失明しました。目の神経が侵され、痛みを感じることがで
きないために、瞬きをしなかったことが原因でした。つまりこの例では、長時間目を
開けたままの時に、目が乾いて痛みを感じる状態こそが健康な体だと言えるのです。
仮に「健康とは痛みを感じること」だと再定義すれば、持病や不自由があっても健康
な人はずっと多いことになります。
さて、この意味できょうの聖書箇所に登場する主人公ヤコブは、果たして健康だっ
たと言えるでしょうか。ヤコブは三つのパターンで、父親を欺きました。①父の「18
子よ、あなたはだれか」(「24 あなたは確かにわが子エサウですか」)との問いに対し
て「19 長子エサウです」(「24 そうです」)と偽りました。②父が長子へ依頼した、
狩りの獲物の料理があまりにも早くふるまわれたのはなぜかとの問いには、「20 主
がわたしにしあわせを授けられたからです」と神の名を用いて騙りました。③目がか
すんで見えなくなっていた父が、直接手で触れることで長子であることを確かめよ
うとした時には、兄の晴着をまとい、手や首に子やぎの皮をつけて毛深かった長子に
なりすましました。繰り返し、父を欺いたヤコブの心は痛むことはなかったのでしょ
うか。もし、痛まなかったならば健康ではなく病気です。
翻ってわたしたちはいま、健康(正しく痛みを感じる)でしょうか。イエスとその
言葉とに出会うとき、健康(正しい痛み)を取り戻します。かつて鶏が鳴く前に三度
イエスを否認したペテロも、イエスの言葉を思い出して痛みを取り戻し泣きました
(マタイ 26:75、マルコ 14:72、ルカ 22:61~62)。さほど痛みも感じないまま何気ない
行動や無自覚の生活によって人を踏みつけ陥れ、歪みが生み出されるきょうその発
生現場において、神はいったい何をしているのでしょうか。聖書は語ります。神は「ど
うしてお見捨てになったのですか」と叫びつつ十字架上で共にいると。責めるでも睨
むでもなく静かにこちらを見つめ、十字架へ向かわれるのが聖書の神です。キリスト
のからだと言われる教会も、この神により何度でも健康(正しい痛み)を取り戻します。