2024年9月1日
「希望は悲しみの中で密かに」 永松博
創世記37章18~36節
夏休みが終わり、新学期がはじまりました。この時期、深刻な生きづらさを抱え、
追い詰められている子どもたちがいることを覚えます(小中高生の自殺は、コロナ危
機下にあった2022年には過去最多の514人を数え、2023年は513人、今年上半
期では249人と、昨年を上回る深刻な状況)。居場所を失い、恐怖や不安を思い出し
て絶望しているいのちに対して、居場所があること、そして思いもしない豊かな未来
があることを伝えたいのです。
きょうからはじまる「ヨセフ物語」の中にも、嘆く者たちの姿が語られています。
父ヤコブ、長子ルベン、そして十一番目の子ヨセフです。それらの嘆きのただ中で、
だれ一人想像しなかった未来のための救いの出来事が密かに進行していたことを知
るのです。父ヤコブはとりわけ息子ヨセフを偏愛していました。それが兄弟たちの憎
みと妬みを増幅させ、兄弟たちはヨセフと穏やかに会話すらできない状況でした(4
節)。その憎悪がきょうの箇所では暴走します。兄弟たちは、当時17歳のヨセフを取
り囲んで捕らえ、着物をはぎ取り、雨水を貯めておくために造られた岩穴へと投げ込
みました(「10さあ、彼を殺して穴に投げ入れ、悪い獣が彼を食ったと言おう」、「23
…ヨセフが兄弟たちのもとへ行くと、彼らはヨセフの着物、彼が着ていた長そでの
着物をはぎとり、24彼を捕らえて穴に投げ入れた」)。きょうの箇所ではヨセフの叫
びは伝えられていませんが、その叫びは創世記42章21節から分かります(「42:21
…彼(ヨセフ)がしきりに願った時、その心の苦しみを見ながら、われわれは聞き入れ
なかった…」)。こうしてヨセフは叫びも虚しく穴から引きあげられて行商に売られ、
大国(エジプト)へ売り飛ばされました。目の前は真っ暗だったでしょう。こうして、
長子ルベンは穴の中にいるはずの弟ヨセフがいないことを見て嘆き(29~30 節)、
父ヤコブも愛息子ヨセフのボロボロの衣服を見て、息子が死を直感して「35わたし
は嘆きながら陰府に下って、わが子のもとへ行こう」と嘆きました。この時点では、
読者も含め、だれ一人希望を見出すことはできません。しかしこの後、ヨセフはエジ
プトで見出され「国のつかさ」(42:6)となります。そして、父ヤコブも長子ルベン
も全国的なはげしいききんの中で、このヨセフに救われ、彼と再会し、和解していく
ことになります。悲劇の中で、密かに将来のためになされる救いの出来事が進行して
いることを覚えます。「37:29 ヨセフが穴の中にいなかった」との言葉は、イエスの
空の墓をも思い出させられます。悲しみの中で、思いもよらない救いの出来事がもう
すでに動き出していることを信じて生きてみませんか。