平和の牛歩(ぎゅうほ)

2024年8月18日より
「平和の牛歩(ぎゅうほ)」永松 博
創世記33章1~20節

郵便よりMail、LINE、SNS、対面よりオンライン会議。時代はどんどん加速してい
ます。社会の変化スピードも速く、走り続けていなければ、すぐ置いてきぼりになり
そうで不安を感じることもあるかもしれません。電子メールを放置しようものなら
その代償は高くつく、情報のキャッチアップを少しでも怠れば、たちまち知識も情報
も古びて、時代遅れになるような時代です(2022/9/10朝日新聞書評)。
そのような時代に生きる者としてはヤコブの歩みには驚かされます。ヤコブの歩
みは、「ゆっくり」(14節)だからです。ヤコブは、因縁の兄と20年ぶりの再会を果
たしますが、その後のペースは家畜と子どもたちに合わせたペースで進みました
(「13ごぞんじのように、子供たちは、かよわく、また乳を飲ませている羊や牛をわ
たしが世話をしています。もし一日でも歩かせ過ぎたら群れはみな死んでしまいま
す。14わが主よ、どうか、しもべの先においでください。わたしはわたしの前にい
る家畜と子供たちの歩みに合わせて、ゆっくり歩いて行き、セイルでわが主と一緒
になりましょう」)。ゆっくり進むことができたのは、ヤコブの時代が今ほど加速した
社会ではなかったからだと言えるかもしれません。あるいはヤコブは兄と同じ道行
きを避けたかったからゆっくり進んだのだとも読めるでしょうか。ただ、33章のヤ
コブの変化と歩みには平和の萌芽を感じます。
例えば、1~3節の家族の並び順の変更です。ヤコブは、兄を視界にとらえたとき
家族の並び順を変更しました。この順は、自分にとってたいせつな存在であればある
ほど後ろへ並ばせたとの読みもあります(29:17~18、37:3)。 しかし、何より大きな
変化はこれまで最後尾にいたヤコブが先頭に立っている点ではないでしょうか。先
頭に立って行くヤコブの姿は、和解のために危険なエルサレムへの道行きを先頭に
立って進まれた主イエスの姿を思い出させます(マルコ10:32、ルカ19:28)。
そして、家畜と子どもたちのペースに合わせた歩みにもまた平和を感じます(13~
14 節)。だれも置いてきぼりになる存在はいないからです。ここにもまた、ろばの子
に乗って先頭を行かれる平和の主イエスの姿を思い出します(マルコ 11:1~11)。さ
らに、沖縄での牛歩の姿もまた重なりました。辺野古基地埋め立てのための土砂搬出
港付近では、ダンプカーの前をゆっくりと横断する牛歩戦術で土砂の搬入を少しで
も遅らせようとたたかう市民の方がたがおられます。遅ければ遅いほどよいとの支
配や足の引っ張り合い、変化を嫌う仕方ではなく、平和をつくりだす闘いの歩調です。

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