2024年5月5日 礼拝より
「忘れられないあの味を」 永松 博
コリント人への第一の手紙11章17~26節
食べることは生きること。わたしたちは、これまで食べ続けてきました。一日三食
なら、一年で 1095 食、20 年で 21900 食。これまで何千何万回も食べ続けてきまし
たが、食事のすべてを記憶することはおそらく不可能でしょう。それでも、きっと心
に残っている食事ならおありではないかと思うのです。
食の思想史が専門の藤原辰史さんは、しばしば食に関して「いままでで一番おいし
かったものは?」と質問するそうです。返ってくるこたえは「『高級店の○○』のよ
うな回答は少なく、家族や友人、人との関係性、あるいは食べ物が持つ多様なつなが
りで話をする人が多い」と言います。人は食べるとき、人間関係や、食べ物をめぐる
つながり、風景、思い出も含めて一緒においしく食べているというのです。
はじめの教会も同じでした。集められた人たちは、「イエスと食べた、あのパンと
杯の味が忘れられない」人たちでした。野外で食事をしたイエス、分け隔てなく特に
罪深いとされた人たちと喜んで食事をしたイエスとの関係、風景、思い出も含めて味
わったあの味は、やはり美味かったのでしょう。はじめの教会にとって食事は、普通
の食事であると同時に主の晩餐でした。
けれども、コリント教会の食事の場合、「忘れられないあの味」は、「ただの食事」、
または「一部の人にとってはむしろ忘れたい味」になりかけていたようです。主の晩
餐は、各自が自分で持参してきたものを自分で食べるだけの栄養補給の機会になり
かけていました(「21 食事の際、各自が自分の晩餐をかってに先に食べるので、飢え
ている人があるかと思えば、酔っている人がある始末である」)。そこには差し出す、
分かち合うというイエスの食卓の「うま味」が欠落していました。それによって、満
腹している人たちがいる一方、何も持ってくることができなかった人たちは、食べ物
がないという悲しい体験をする機会(イエスの食卓を追体験することができない機
会)になってしまっていたのでしょう。
パウロはイエスの食卓の「うま味」が抜け落ちつつあった食卓を「損失」(17 節)
と言います。その上で、再びイエスの「うま味」の溢れる食卓となることを願って、
自らの食卓に臨む姿勢を省み、場合によって自らの空腹を制御し(34 節)、普段遠い
人と共なり分かち合うことを提案しています。さてわたしたちの食卓は、いまどのよ
うであるかも問われます。教会の食卓、各々の日毎の食卓が、イエスを「記念」(24,25
節)する食卓として「忘れられないあの味を」再現する食卓でありますように。