支配を越えて

2024年12月15日
「支配を越えて」  永松 博
マタイによる福音書2章1~8節(聖書協会共同訳)
今日、星占いによってユダヤ人の王を探し求めた「1東方の博士たち」の物語を、どのように読むことができるでしょうか。帝国の支配への抵抗の物語として読むことができるかもしれません。
どの時代も博士たちがいるところに帝国はありました。元々、「博士(ギリシア語:マゴス)」は、古代ペルシア帝国の祭司だったメディアの部族の名でした。また博士は、ヘレニズム時代以降には、東方の魔術、夢占い、占星術、神学、哲学に通じる学者を指すようになり、バビロニア帝国では、ネブカドネツァル王に仕える博士たちの姿もあります(ダニエル書2:2~10)。そしてローマ帝国が支配する時代においても占星術は「王座の裏の権力」でした。占星術の学者たちの考えが、王の政治的決断に大きな影響力を持ち、紀元後1世紀には、死後に神とされた初代皇帝アウグストゥスの跡継ぎで神の子と呼ばれた二代目皇帝ティベリウスは、自分で星占いをしたとも伝えられています。そのような国家の要人である「1東方の博士たち」が、貢物を携えてやってくるということは、帝国の支配があるとも言えます。そして歴史的には、マタイ福音書が書かれる以前には(紀元66年)、パルティアの王子ティリダテスが「占星学者たち」を含む大勢の人たちを従えてローマ帝国五代目皇帝ネロ(在位:紀元54~68年)にひれ伏し、アルメニアの王冠を戴いた出来事もあったようです。
そのような時代の中で、この「1東方の博士たち」の物語を読んだマタイの教会の読者たちは、何を思ったでしょう。やはり帝国の支配への抵抗として読んだのではなかっただろうかと思わされます。諸外国の要人たちが贈り物を携えて訪れた先は、他でもない小さな幼子イエスが生まれたユダヤのベツレヘムでした。決して、ローマ皇帝の元ではなく、皇帝に従い属国の王の地位を得ていたヘロデ王の元でもなかったという抵抗のメッセージです。平和は王が持つ武力権力支配によってなされるのではなく、他者を引き寄せ、自らすすんで世話することを望み、関わりたくなるような仕方で、他者を共に生きる方へと巻き込んでいく幼子が持つあの不思議な力によって実現されるというメッセージでもあります。
そして、この真の王なるイエスのもとへやって来た人びとは、ヘロデでもエルサレムの人々でもなく、旅する外国人「1東方の博士たち」だったことをマタイ福音書は伝えています。ユダヤ教の枠から飛び出し、民族を越えて、すべての人に福音を伝えようと新たな一歩を踏み出そうとしていた(あるいは踏み出していた)マタイ教会にとって、この物語は励ましとしても響いていたかもしれません。翻っていま、わたしたちの教会にはどのようなメッセージとして響くでしょうか。

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