散らされるという名の救い

2023年9月24日の礼拝より
 
「散らされるという名の救い」  永松 博
創世記11章1~9節

先週は、日韓・在日連帯特別委員会主催の全国集会、連合女性会秋の一日集会など多くの集会がありました。Web参加ができ、アーカイブも公開されるようになっております。プライベートの時間を新たに学びと養いの時間として取り分け、信仰的にも新たな出会いや気づきをいただいていく機会に開かれていけたらと願います。
さて、きょうの創世記11章のいくつかの言葉を読んで、わたし自身は考えさせられました。例えば、1節で「全地は…同じ言葉であった」と同化発言をしているのは誰か。3節で「さあ、れんがを作り、よく焼こう」と重労働を先導する彼らとは誰か。4節で「町と塔を築こう。塔の頂は天に届くようにして…全地の面に散らされることのないようにしよう」と体制を維持しようとしている我々とは誰かともやもやしながら読み、もしかするとこの社会の中での多数派、管理者側、支配者側ではないのかと受け取りました。直前を読むと、神さまから祝福を受けたノア一族が、実に豊かに増え広がっていたことが分かります。それぞれの土地で生き抜く中で、独自の文化と言語を育んでいたであろう人びとが、東のシナルの地で同じ言葉を話していた。これは帝国による侵略と支配、同化政策と強制労働と重なるのは決してわたしだけではないでしょう。この国が、かつて独立国だった琉球国や、アイヌの方がたの土地を奪って、同化政策によって日本への同化を強制してきたこと。アジアへの侵略戦争で、朝鮮や台湾をはじめとする植民地を得、やはり同化政策によって、日本人になることを強制し、言語も、名前も、文化慣習も奪い、土地の開拓やダムや工場や飛行場の建設などの発展のための労働力として酷使したことが重なります。当時、同化は支配者側の優れた文明を“未開で野蛮な人たち”に与える“恩恵”だと正当化していました。帝国の植民地思想と意識は総括されぬまま今日の会社、学校、夫婦や家族、わたし自身の中にも根強く残っています。主なる神は、そんな同化政策の支配の中に降り、過ちの暴走を止められるお方です。神は「同じ」を押し付けられて苦しみ、「自分らしさ」を奪われていた人びとを解放なさいます。7節「彼らの言語を混乱させ、互いの言語が理解できないようにしよう」との言葉は、救いの言葉で言いかえれば「あなたの国の言語で語っていい」。「あなたの文化を大切にしていい」との解放と救いの言葉として響きます。「散らされた」(7,9節)も「解放の言葉」でしょう。教会は問われています。“恩恵”なるものを携えて同化してく宣教ではなく、解放のための働き人としての使命を携え、押し出され散らされて生きましょう。

【 第 一 祈 祷 会 】(水)10時30分 ~ 11時30分
https://us02web.zoom.us/j/88686348019?pwd=L3R5UUw0TjRMQi9UOHhlL09VTGNCQT09
ミーティングID: 886 8634 8019  パスコード: 003970
【  礼   拝  】(日)11時00分 ~ 12時00分
https://us02web.zoom.us/j/89000947569?pwd=RWlhK2JxWitXNU9EMjZFQlNIalcydz09
ミーティングID: 890 0094 7569   パスコード: 291557

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