024年6月9日 礼拝より
「汗と、涙と、土と、血と、若葉のかおる行列に」 永松 博
コリント人への第二の手紙2章12~17節
「…いったい、このような任務にだれが耐え得ようか。しかし、わたしたちは、多
くの人のように神の言を売り物にせず、真心をこめて、神につかわされた者として
神のみまえで、キリストにあって語るのである」(Ⅱコリント 2 章 16~17 節)
わたしは、神の言を語り生きたパウロのこの言葉を読んで、アニメーション界の至
宝フレデリック・バック(1924-2013)を思い出しました。タジオジブリの高畑勲監
督や宮崎駿監督もあこがれる彼は、現ドイツ領に生まれ、フランスで幼少期を過ごし、
17 歳のとき第二次世界大戦下にあってパリの美術学校で生涯の師と出会い、絵を描
き続けて生きました。40 歳を過ぎた頃、アニメーション制作に携わり、アカデミー
賞に 4 度ノミネートうち 2 度受賞しました。そのうちの一作品が短編アニメーショ
ン『木を植えた男』です。羊飼いであるその男は、荒れはてた山に人知れず一日 100
個のどんぐりを植えます。無事に育つのは 10 分の 1、時に全滅します。また絶望や
二度の大きな戦争も起こりますが、彼は物ともせず30年以上もの間、木を植え続け、
やがて森がよみがえりるという物語です。羊飼いの男は、誰かに誉められるからでは
なく、自己達成感のためでもなく使命に生きました。たとえ自分が生きている間、仕
事の成果を見届けられなくとも、男は最後まで仕事を続けました。この男の働きを見
かけ、その後戦争に駆り出され生還した旅人は、甦った森を見て言います。「戦争と
いう、とほうもない破壊をもたらす人間が、ほかの場所ではこんなにも、神のみわざ
にもひとしい偉業をなしとげることができるとは」と。また、絵本の中には次のよう
な一文もあります。「ああ、神の苦しみは神のみぞ知る。ときに、むなしさを感じた
こともあったことを、わたしは知らなかった。どんな大成功のかげにも、逆境にうち
かつ苦労があり、どんなに激しい情熱をかたむけようと、勝利を確実にするためには
ときに、絶望とたたかわなくてはならぬことを」。わたしたちは、「誰も自分の苦しみ
を分かってくれない」と絶望します。しかし裏返せばわたしたちは他者の、こと神の
苦しみを知らないとも思わされます。まさに「神の苦しみは神のみぞ知る」です。人
間は、神に成り代わり神の苦しみを完全に知ることは不可能だし、不必要でしょう。
ただ人知れず、神が十字架によって神の苦しみを引き受けたと知るとき、わたしたち
も一人でなく「真心をこめて、神につかわされた者として、キリストにあって」木を
植え、あるいは語り、また育て、それぞれの十字架を負って生きることができるのか
もしれません。もしかすると「キリストのかおり」は、汗と涙と土と血と若葉の混じ
ったかおりかもしれません。このかおり漂う行列の末端にわたしは連なり生きたい。