2024年8月11日より
「神と共に、人びとと共に」永松 博
創世記32章22~32節
赤ちゃんは相手の顔を見るのが大好きです。赤ちゃんは、目がまだよく見えていな
い時期から、人の顔を認識する能力があることが分かっています。生後すぐの赤ちゃ
んに、絵や図形を見せると、人間の顔の写真や絵に一番よく反応するのです。
わたしたちも、生まれた頃は相手の顔を見るのが大好きだったはずです。しかし、
現在はどうでしょう。「顔も見たくない」という相手がいる。あるいは、対面するだ
けで不安と恐怖を感じるような相手がおり、決して平和とは言えません。
ヤコブも会いたくない存在がいました。兄エサウです。ヤコブは、かつて兄を騙し
たというしろめたさがあったからです。またヤコブは、兄の憎しみと殺意を知って
20 年もの間逃亡生活をしていた経緯もありましたので、故郷へ近づくほど、身の危
険を感じ、恐れ、苦しんでいたのです(32章6~7, 11節)。そこでヤコブは、あれこ
れ策を講じました。集団を二組に分け、一方が襲われても一方は助かるようにリスク
を分散しました。また、贈り物による和解策として、家畜の大群(500頭以上)を三つ
に分け、先行させ、怒る兄の気持ちをなだめようともしました。この文脈の中で、直
前の20節の言葉は「顔」という言葉が頻発していました(直訳「32:20私は彼の顔
を私の顔の前に行くところのこの贈り物で覆う(なだめる)、そして後で私は彼の顔を
見よう、もしかしたら彼は私の顔を受け入れるだろう」)。そしてきょうの箇所は、夜
です。一団はみな川を渡り終え、ヤコブは対岸でひとりでした。そこに謎の人物「そ
の人」が現れ、朝方まで謎の存在との格闘が繰り広げられました。多様な解釈があり
ますが、わたしは「その人」がヤコブが作り上げた恐怖の兄の虚像のようにも感じら
れました。対話無き関係は、自分のうちに相手の虚像を生み出します。けれどもヤコ
ブは、闘いに勝利し、祝福を得ます。これは、ヤコブの粘り強い資質や格闘センスに
よるものというよりは、神と共に、人びとと共に闘い抜くことができた結果ではない
でしょうか。ヤコブはこのとき確かにひとりでしたが、ひとりではなく仲間(神と共
同体)がいました。