わたしたちの現実のど真中に

2023年11月12日の礼拝より
 
「わたしたちの現実のど真中に」  永松 博

ルカによる福音書17章20~21節

「悲しむことを通して、悲しみから解放されていく」ということはグリーフィング(悲しみの営み)でたいせつです。召天者記念礼拝は、共に悲しみ、共に悲しみから解放されていく場です。個人化した現代では、悲しみを共有する場と時が少なくなってきていると言われます。愛する家族を亡くした方、例えばお連れ合いを無くした時、ひとり遺されたお連れ合いは、いったい、いつ、誰と悲しむことができるのでしょうか。葬儀は、共に悲しむ最初の機会でしょう。お子さんやご親族と共に悲しむことを通して悲しみから解放されていく第一歩です。しかし、2~3日後にはご家族ご親族の皆さまは、それぞれの住まいへ帰って行かねばなりません。以降、遺された方は、共に悲しむ機会がほとんどなく、悲しみから解放されていく機会も減っています。当教会で行われている毎年11月第二日曜日の召天者記念礼拝は、共に悲しみを共有する場です。共に悲しみ、ここからまた共に生きていくための場です。
今朝は、イエスが語られた神の国の譬えの箇所を開きました。イエスは、神の国(天国)は「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」(21節)と言われました。岩波訳では、「あなたたちの〔現実の〕只中にあるのだ」(あなたたちの現実のど真中にあるのだ)とも訳されています。わたしたちの日常の一つひとつの現実こそが、神の国の活きたたとえそのものだというのです。「悲しみや痛みが溢れるこの現実のど真中に神の国を見出すことができる」とイエスは語ったのです。ここで重要なのは、「あなたたち」と二人称複数形で語られていることではないでしょうか。ひとりの現実のど真中ではなく、互いに助け合い、互いに関わり合い、互いに尊び合う中に、人と人とが関係し合い共に生きるという関係性のど真中に神の国はあるというのです。
きょう日本バプテスト連盟の教会では、バプテスト福祉デーでもあります。特別養護老人ホームや、保育園、重症心身障害者施設など、6つのバプテスト社会福祉事業団体がキリストの福音に根差して働きを為すことができるよう覚えて祈る日です。そして福祉の分野からも「神の国がわたしたちの現実のど真中にある」ことを学ばされます。
もしかすると神の国は、問題がない世界ではないのかもしれません。たとえ、問題や苦しみがあったとしても、ひとりではない世界。わたしがいてあなたがいる世界。共にいる世界。問題を仲間どうしで共有しあうことができる世界。その問題の中で、いっしょに生きぬくことを選んでいくことができる世界が神の国なのかもしれません。
浦河べてるの家では、「今日も明日もあさっても、順調に”問題”だらけ」と言い合って互いに生きている方がたがおられます。薬で悩む機会を奪われていた中で、「問題だらけ、それが順調」と苦労を取り戻しながら、かつ精神障害という病気や苦労に名前を付け、仲間といっしょに悩み、いっしょに分かち合いながら生きていく苦労丸ごとを「それで順調」と言い合う営みは、不思議と苦しみが和らぎ生きやすいと言います。イエスが言われた、神の国は「あなたたちの現実のど真中にある」というのは共に悩み、苦労しながら、一緒に生きていく中にあるのかもしれません。だからわたしたちは教会を形成します。十字架と復活の主イエス・キリストを見上げながら、共に現実を見つめ直し、共に生き、わたしたちの現実のど真中に神の国を見出して生きます。先達たちが生き、また完成を信じて待ち望んだ神の国に、わたしたちもつながって、この現実のど真中を共に喜び、共に泣きながら、共に生きていきましょう。

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