神が語るので我らは生きる

2024年9月15日
「神が語るので我らは生きる」永松 博
創世記41章37~57節
エジプトの古い諺に「一度ナイルの水を飲んだ者は、たとえ異国人であってもその
祖国を忘れる」というのがあります。世界最長の河、ナイルが肥沃な土を運び、エジ
プトは農業と文明が発展しました。そんなナイルの水を飲んだ旅人は、故郷を思い出
すことがないほど魅せられるという俗信です。アフリカ、アメリカ、ルーマニア、バ
スク地方など世界中にも、土地ごとの水に関する似たような諺があります。
きょうの聖書箇所でヨセフもまた、故郷を忘れたと語ってしています(51節)。遠
く離れた大国エジプトに奴隷として売られて13年。ヨセフは冤罪で牢獄生活を強い
られていました。これまでは、ヨセフの口から苦悩は語られませんでしたが、きょう
の箇所で聖書は、与えられた子どもたちの名を通して、ヨセフの心境を伝えています。
長子の名「マナセ」は「忘れさせる」の意味でした(「51神がわたしにすべての苦難
と父の家のすべての事を忘れさせられた」)。主なる神が共におられ、奴隷としても、
牢獄でも、祝福されたとされてきたヨセフも、長らく苦しんでもいたことが分かりま
す。けれどもファラオへの夢の解釈が受け入れられ、ヨセフの立場は、奴隷から一転
して、国の重役へと引き上げられるという大転換が起こりました。ヨセフは新たにエ
ジプト人としての名を得(「45ザフナテ・パネア」神が語るので彼は生きると訳し得
る)、エジプトの神官の娘と結婚し、二人の子を授かりました。ヨセフは、その喜び
と感謝から、私の苦悩は、マナセ(忘れさせられた)と、エフライム(実り豊か)と
なったと語っています。「ここで言う「忘れる」は、「思い出さない」という意味では
なく、もはやそれを持っていないという意味です」(『ATD』)。忘れたくとも忘れら
れない傷みを無理やり苦しみつつ思い出さないようにしているのではなく、もはや
苦しみやトラウマそのものがない状態です。実際、ヨセフ物語の続きを読むと、ヨセ
フがむしろ、故郷の家族を非常に意識し、関わっていった姿が語られているのです。
ヨセフは、苦難の中でなお夢を見、解釈しながら生き、ついには渦中で押しつぶさ
れそうになっていた苦難そのものが消え去ってしまうほど想像もできなかった大転
換を見ました。また、かつての夢(37章5~11節)が現実となることも体験してい
きました(42章6節)。ヨセフは、名は変わっても、神が語ることばにいのちを見出
し彼は生きたのでした。教会は、いまこの世界にあって強いとされる力に依るのでは
なく、神の語る言葉によって夢を見、解釈して生かされていくところに、いのちを見
出していきたいのです。主イエスが与えるいのちの水を飲む者は、そのような幸いを
見る。そう信じて、生きてみませんか。

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