ダブルミーイング、回復

2024年11月3日
「ダブルミーイング、回復」  永松 博  
エレミヤ書30章1~3,18~22節(聖書協会共同訳)
1つの語で2つ以上の意味をもつ語を意味するダブルミーニング(多義語)の定義は、もともとは一つの意味であったものが、時代や物事の変化に対応して転用され、用いられる場面や文脈によって異なる意味を表すようになった言葉のこと、なのだそうです(参照:学研キッズネットより)。例えば、本来、体を支える部分をあらわす「足」という語が、時代や変化とともに、意味が乗り物や、食べ物の腐りかたが早いこと等をもあらわすようになりました。
同様に、きょう預言者エレミヤが語る「イスラエル」という言葉も、時代と変化の中でダブルミーニングだと言えます。「イスラエル」という語は、元来、ひとつの共同体を意味していました。いわば、ひとつの国、民族、宗教、血縁を意味する言葉でした。しかし「イスラエル」は、時代と変化の中で南北に分裂し、滅びた片割れ「北イスラエル王国」を意味するようになっていたのです。「イスラエル」と言えば、亡国を意味し、独自路線を行く宗教的異端者や異民族との混血等、マイナスイメージや差別的な意味をも含み持つに至ったことは「サマリヤ」について語る後の新約聖書各所から読み取ることができます。
しかし、きょうの箇所では「イスラエル」の持つダブルミーニングは神によって再び結び合わされています。エレミヤは次のように預言しました。「3その日が来る――主の仰せ。私は、わが民、イスラエルとユダの繁栄を回復する――主は言われる。彼らをその先祖に与えた地に帰らせ、彼らはそれを所有する」。この回復の預言は「4イスラエルとユダについて主が語られた言葉」であり、語ったのは他でもない元来の意味で全イスラエルをあらわす「2イスラエルの神」でした。預言活動のおそよ9割がさばきとほろびについてのきびしい言葉を語らされ続けたエレミヤでしたが、すべては“このとき”になされるまことの平和のためだったことを思わされます。その日には、だれも考えもしなかったような仕方で分断をつなぐ神が平和のために「回復させる」と語ってくださることをわたしは信じたいのです。
この回復が語られた時がいったいいつであったか、正直わたしには分かりません。ただ言えることは、安易な気休めとしてのタイミングではなかったということでしょうか(28:2~3と3:8の比較から)。そしてエレミヤは語ります。「22力ある者が彼らから起こり/治める者が彼らの中から出る。/私が彼を近づけるので/彼は私に近づく。/彼のほかに、一体誰が命を懸けて/私に近づくであろうか―主の仰せ」。散らされるという痛みを知り、連れ去られた者たちの中から、神と民をつなぐ「彼」が出る。この彼こそ主イエスであり、その力は十字架による弱さという強さによってなされた和解ではなかったのか、とわたしは思わずにはいられません。
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