心を変えてくださった

2023年9月10日の礼拝より

「心を変えてくださった」  永松 博

創世記9章1~17節

FIBAバスケットボールワールドカップ2023が行われています。オリンピック出場権獲得という「生き残り」をかけ戦う選手たちの姿は、競争社会の中で必死に戦うわたしたちの日常とも重なります。
創世記の洪水物語にも「生き残り」がいました(「ノアと、彼と共に箱舟にいたものだけが残った」創世記7章23節)。この生き残りは、神に残された者たちでした。本来、神の裁きにより滅ぼされるべき者が、ただ神の恵みによって生かされ、残されたのです(「もし人々がそれにふさわしく扱われねばならぬとすれば、毎日毎日洪水が必要であろう」宗教改革者カルヴァン)。
また洪水後の神の言葉は、一般的には矛盾しているように思われてわたしたちを驚かせます。創世記8章21~22節『21主はその香ばしいかおりをかいで、心に言われた、「わたしはもはや二度と人のゆえに地をのろわない。人が心に思い図ることは、幼い時から悪いからである。わたしは、このたびしたように、もう二度と、すべての生きたものを滅ぼさない。22地のある限り、種まきの時も、刈入れの時も、暑さ寒さも、夏冬も、昼も夜もやむことはないであろう」』。洪水によって神が悪を一掃し、人間も心を入れ替えて善を行うようになるから、もう二度大地を呪うことはしないというのなら納得できるのですが、そう書かれてはいません。あくまでも神は洪水前と同じように、洪水後も現実的に人が心に思うことは幼い時から悪いという認識を持ったままです。しかし、にもかかわらず神はもう二度と滅ぼさない、とここで約束をなさったのです。つまり、この大洪水によって変わったのは人間の側ではなく、神ご自身の側だったのです。洪水物語の主人公はノアではなく、神であり、神の心の変化こそが中心です。残された者たちは神の恵みのもとに置かれているのです。
いま、わたしたちが、もし生き残ったのではなく残されて、神の心の変化によって恵みのもとに置かれているとしたなら、わたしたちはまず自分たちの弱さを率直に認めなければなりません。弱いこと、醜いことは、必ずしも悲しいこと、恥ずべきことではなく、弱さ、醜さに徹し得ないこと、それを受け入れないことこそが、ほんとうに悲しいことでしょう。自分の弱さ、醜さにもかかわらず、心を変えてなお共に生きてくださるお方がいることに目が開かれていく時、わたしたちは救われます。

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