レイン-ボウ~記憶の目印と保証のしるし~

2023年9月10日の礼拝より

「レイン-ボウ~記憶の目印と保証のしるし~」  永松 博
創世記9章1~17節

今回のテーマは「契約」です(創世記9章9~17節)。この国の民法では、契約は「当事者双方の意思表示が合致することによって成立するもの」(法務省)ですから、一般的には、18歳以上の大人同士が、互いの自由意志による合意の上で、法的責任と拘束力が生じる約束を交わし合うことを契約と理解しています。しかし、創世記9章9~17節に書かれている神と人との契約の場合、人間の側からは何の条件も、義務も、求められる要求すらありません。あるのは神の側が一方的に「わたしは契約を立てる」、「わたしが立てる契約により、あなたがたは洪水によって滅ぼされることはない」ということですから、これはいわば神の一方的な恵み、約束です。しかも驚くべきことに、この神の恵みの約束の期間は、永遠(12節「代々かぎりなく」,16節「永遠の契約」)とありますから、いまのわたしたちにまでも及ぶ約束であることになります。「この契約は一見ダニエル書や新約の黙示録の終末論と背反するように見えます。しかし、いやしくも聖書に権威をおくわれわれとしては、この虹の契約を一時のものとすることができません。だから、もう人類の滅亡は決してありえないと信ずべきです」(坂本嘉親・他『旧約聖書の民』ヨルダン社1976)。
「契約のしるし」とは「にじ」でした(9章12~17節)。「にじ」は別の聖書箇所では「弓」とも訳されています(にじは英語でrain-bow「雨の弓」)。当時、雲は神の乗り物、にじは神が持つ弓、大雨は神が放った矢とのイメージがあったようです。にじは、神が弓を雲の中に置いて、もう使わないことのしるしとの理解でした。「にじ」のしるしは、神には約束の義務を思い起こさせる「記憶の目印」として、人間には「保証のしるし」となりました。にじを見る時、わたしたちはあらゆる関係性において、自分の正しさを棄てる神の凄味を想い起こし、神の忍耐に少しでも学び倣う者でありたいと願います。神の忍耐によって弓という武器がいのちの保証のしるしとなり、やがて拷問具の十字架も救いのしるしとして教会の象徴となりました。「26神が忍耐してこられたのは、今この時にご自身の義を示すため、すなわち、ご自身が義となり、イエスの真実に基づく者を義とするためでした。…28私たちは、人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によると考える」(ローマ人への手紙3章26,28節)。キリスト者は、神の審きが恐ろしくて信じているのではなく、自分が救われたいから信じているのでもなく、忍耐強く、憐みと慈愛に満ち、心を変え、正しさを棄ててなお、全ての者を生かそうと決める神に希望を見出し信じているのです。

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