愛に生かされて

2024年5月19日 礼拝より

「愛に生かされて」 永松 博
コリント人への第一の手紙15章12~22節

「いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最
も大いなるものは、愛である」(コリント人への第一の手紙 13 章 13 節)
すでに 8 章 1 節でも愛について触れていたパウロは(「8:1 知識は人を誇らせ、愛
は人の徳を高める」)、13 章 4~6 節で「愛」とは何かを、「愛」を主語にして 10 の
項目で語りました。そのうちの 2 つが肯定文で、8 つは否定文でした(「4 愛は寛容
であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。5 不
作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。6 不義を
喜ばないで真理を喜ぶ」)。もしかすると、神の愛をこの世の言葉や概念で言い表すこ
とが難しかったからであるのかもしれません。教会も神の愛について「〜ではない」
と語ることはできますが、なんとか「〜である」と肯定的に表現できないものかと、
時代や価値観などを見つめながら、日々、試行錯誤しているようにも思います。
それでもパウロは、神の愛について、2 点肯定文で伝えました。それが「愛は寛容
であり、愛は情深い」(4 節)です。すなわち神の愛は、人に対して忍耐強く、また恵
み深いというのです。それらはヘブライ語聖書を通して示され(詩篇 86:15「しかし
主よ、あなたはあわれみと恵みに富み、/怒りをおそくし、いつくしみと、まことと
に/豊かな神でいらせられます」、103:8 他)、主イエスによって完全にあらわにされ
たことです(ヨハネの第一の手紙4:9-11「9 神はそのひとり子を世につかわし、彼
によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対
する神の愛が明らかにされたのである。10 わたしたちが神を愛したのではなく、神
がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、
御子をおつかわしになった。ここに愛がある。11 愛する者たちよ。神がこのように
わたしたちを愛して下さったのであるから、わたしたちも互に愛し合うべきであ
る」)。だからこそ愛とは、関係性における忍耐強さであり、情け深さだということが
できるのです。わたしたちは、この愛を受け、生きたいと願います。
さらに、パウロは「信・望・愛」を語ります(「13:13 いつまでも存続するものは、
信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である」)。
他にも「信・望・愛」については、テサロニケ人への第一の手紙 1:3 でも述べられて
います(その他、テサロニケ人への第一の手紙 5:8、ローマ人への手紙 5:2-5 参照)。
ここでは、信仰とは働きであり、愛とは労苦であり、希望とは忍耐だとも語られてい
ます。人が神の国を生きていくとは働き、労苦し、忍耐することなのです。

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