大丈夫、“その日”はやって来る

2023年10月22日の礼拝より
 
「大丈夫、“その日”はやって来る」  永松 博

イザヤ書27章2~6節

今年1月末、米国の原子力科学者会報が「終末時計」は前年より10秒進んで、世界の滅亡まで「残り90秒」と発表してから、はや約9カ月が過ぎました。わたしたちキリスト者は、祈り、具体的に神の国を生き広げようと努めてきましたけれども、悲惨な現実や悪いニュースに触れる度に、「果たして明日はあるのだろうか」と不安と無力感に襲われそうになります。しかし、最善を尽くしてなお、現実が悲惨で、また苦難に満ちたものであっても、聖書が語る「その日は来る」との希望を受け取って、このいのちを生きたいものです。
かつて主なる神はイザヤ書5章の「ぶどう畑の歌」を通して、普通に生きられていた一部の人びとに向かって悲劇を語りました(「5:5それで、わたしが、ぶどう畑になそうとすることを、あなたがたに告げる。わたしはそのまがきを取り去って、食い荒されるにまかせ、そのかきをとりこわして、踏み荒されるにまかせる。6わたしはこれを荒して、刈り込むことも、耕すこともせず、おどろと、いばらとを生えさせ、また雲に命じて、その上に雨を降らさない」)。格差社会の中で、小さくされていた者たちの現実は悲惨でした。主なる神は「手を尽くしても豊かなぶどうの実りが得られない」と涙を流しておられました。国の指導者は大国の力に頼った偽りの「平和」へと向かいました。しかし、預言者イザヤは神から与えられる「平和(シャローム)」を受け取って、たとえ少数でも神と共に生きていこうとしました。
きょうのイザヤ書27章2~6節は、悲惨な「ぶどう畑の歌」(5章)では終わらない「その日」の希望を語っています(2その日「麗しきぶどう畑よ、このことを歌え。3主なるわたしはこれを守り、常に水をそそぎ、夜も昼も守って、そこなう者のないようにする。…5…わたしの保護にたよって、わたしと和らぎをなせ、わたしと和らぎをなせ」)。「和らぎをなせ」が「シャローム(平和・平安)」です。悲惨で、苦難に満ちた現実の中でも、神ご自身が希望を捨ててはおられないことが、神を信じるわたしたちの希望へとつながってきます。主なる神は「わたしと和らぎをなせ」と語り、「その日」のために、手を伸ばしてくださる神です。わたしたちは、和解の主イエス・キリストによって、差し出されたみ手に希望を見出して生きましょう。現実がどんなに悲惨で苦難に満ちたとしても、神が共にいてくださり(インマヌエル)、神が与えてくださる平安は、造られた者にとって全き状態で欠けたところのない平安だからです。

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