2023年12月31日の礼拝より
「義のかしの木の強さ」 永松 博
イザヤ書61章1~3節
かしの木は、どんぐりができる木として身近な樹木です。漢字で「樫」と書く通り、非常にかたく、重く緻密で粘りがあるという特徴を持っています。聖書中でも、かしの木は、「強さ」の象徴であり(「その強きこと、かしの木のようであった」アモス2章9節)、誇り高く堂々とした人物の象徴です(ゼカリヤ11章2節)。
きょう開いているイザヤ書61章3節にも、「かしの木」は登場します(「彼らは義のかしの木ととなえられ、主がその栄光をあらわすために植えられた者ととなえられる」)。しかしきょうの箇所が言う「義のかしの木」としての「彼ら」は、強く、誇り高く、堂々とした人のイメージは当てはまりません。むしろ「彼ら」は、「貧しい者…、心のいためる者…、捕われ人…、縛られている者」(1節)であり、「すべての悲しむ者」(2節)であり、「シオンの中の悲しむ者」(3節)だからです。
第三イザヤが言う、「義のかしの木」としての「彼ら」とは、第一義的には「神のことばを聞いて堅く立ち、誇り高く、粘り強い、立派な信仰者」ではなく、「神のことばを聞いても半信半疑になっていた人たち」でした。「彼ら」とはまず、バビロン捕囚から帰還した民のことでした。「彼ら」は、多くの仲間が住み慣れたバビロンに残る中で、神のことばを信じ立ち上がり、荒野を旅して故郷に帰ることを選んだ信仰者たちでした。生活に窮しながらも信じ、妨害に合いながらも信じ、壊されたエルサレム神殿の再建を実現した信仰者たちでした。しかし、信仰深い「彼ら」もこの時は、絶望しそうになっていたのです。苦労の末に神殿が再建されたにもかかわらず、神殿を基礎とした理想の国はおこっていないように思え、失望しかけていたのです。
第三イザヤはそんな半信半疑の民らに向かって、「シオンの中の悲しむ者」であるあなた方は「義のかしの木ととなえられ」るとの、新たな樫の木のイメージを語りました。「樫の木は、切り倒しても、根元からまた芽吹いてくる」(『旧約新約聖書大事典』)という新たな特徴です。第三イザヤが語った樫の木の強さとは、大木のように力強くそびえ立つ強さではなく、努力もむなしく切り倒されるような現実にあってもなお、根ざす大地によって全く新たに生かされていく強さでした。
わたしたちも、懸命に努力して大きく育てた大木であればあるほど、無残に切り倒される現実を前にすれば絶望しそうになります。しかし、大地と切り株はある。根元から新たないのちを芽生えさせる神が、わたしたちを新しいいのちへと生かします。