2023年10月29日の礼拝より
「再び起こす言葉、枯れしぼむという希望」 永松 博
イザヤ書40章1~8節
「人はみな草だ。その麗しさは、すべて野の花のようだ。主の息がその上に吹けば、草は枯れ、花はしぼむ。たしかに人は草だ。草は枯れ、花はしぼむ。しかし、われわれの神の言葉はとこしえに変ることはない。」(イザヤ書40章6~8節)
この言葉は、バビロン捕囚末期ごろに語られた言葉です。約50年にも及ぶ、異国での捕囚による悲しみと苦しみの中で、語る言葉も希望も失いそうになっていた預言者に向けて、どこからともなく聞こえてきた声でした。「変ることはない」は、「存続する、立つ、起こす」などの意味を持つ言葉です。神の言葉は、困難の中で草花のように枯れしぼむ人を再び起こすことができます。またこの言葉は、同時に慰めと希望を含んでいます。たとえ現実的には大国の巨大な力は存続するかに見え、囚われからの解放など不可能のように思えたとしても、主の息がその上に吹くならば大国も草花のように枯れしぼみ、神の言葉だけが存続するという希望です。
1963年8月23日、米国南部バプテストの牧師マーティン・ルーサー・キングJrはワシントン記念広場に集まった約20万人の人びとの前で、人種差別撤廃と自由と平等を求め、きょうの聖書のことばであるイザヤ書40章4~5節を引用し、有名な演説をしました。「私には夢がある。それは、いつの日か、あらゆる谷が高められ、あらゆる丘と山は低められ、でこぼこした所は平らにならされ、曲がった道がまっすぐにされ、そして神の栄光が啓示され、生きとし生けるものがその栄光を共に見ることになるという夢である。これがわれわれの希望である。この信念を抱いて、私は南部へ戻って行く。この信念があれば、われわれは、絶望の山から希望の石を切り出すことができるだろう。…この信念があれば、われわれは、いつの日か自由になると信じて、共に働き、共に祈り、共に闘い、共に牢獄に入り、共に自由のために立ち上がることができるだろう…」。マジョリティからの弾圧、脅迫、投獄などの困難の中で、揺さぶられ、押しつぶされそうになるキング牧師を、神のことばが起こし、立ち上がらせていたでしょう。また同時に、人種差別という難攻不落の巨大な負の力も、必ず枯れしぼみ、神の言葉が存続するとの言葉は、希望であり続けたでしょう。
わたしたちも、あらゆる苦難と絶望渦巻く中にあって、変わることなく存続する聖書の言葉と、倒れる者を再び起こす神の言葉を信じて、共に「われわれの神の言葉」として教会を形成し、絶望の山から希望の石を切り出して神の平和を生きましょう。