“なんじゃこりゃ”という名のパン

2025年7月13日(日)
「“なんじゃこりゃ”という名のパン」 永松 博
民数記11章1~15節(聖書協会共同訳)
ある先輩牧師の話です。先輩が神学生時代に一人目の娘さんが与えられたそうです。先輩は、娘さんの名前をあれこれ考えて、最終的に「マナ」という名前を付けたそうです。きょうの箇所(11:6,9)や出エジプト記16章に出てくる「マナ」から取ったというわけです。マナは、出エジプトした難民たちが荒れ野で主から賜ったパンのことです。その先輩は、娘の誕生の報告を兼ねて、神学部の旧約学専門の教授のもとを尋ねて、こう言ったそうです「先生、娘の名前をマナと名付けたんですが、この名前どう思いますか?」。すると、教授は、「う~ん、その名前はおすすめできませんね」と言ったそうです。先輩が驚いて理由を聞くと、教授は「マナというヘブライ語の意味はですね、なんじゃこりゃという意味なんです」と言ったという笑い話です(出エジプト記16:15)。今日「ギョリュウ説」によれば、マナは、ギョリュウ科の植物の木の葉から樹液を吸い取ったアブラムシ科の昆虫、マナ虫の分泌物だと考えられています。アブラムシの場合、分泌した蜜をアリがなめますが、マナ虫の場合は蜜塊がある程度大きくなると地上に落下ちたり、枝にくっついたりします。それらは、夜、気温が下がると固まり、集めることができるようになります。ただし日中、気温が上がると溶けてしまいます。今でも、イランやアラビアの各地では甘味料(gift of God)として朝、取りに行くそうです(『岩波』脚注、『聖書植物図鑑』)。当時、荒れ野において難民たちは、マナに養われました。そして、モーセはマナを「これこそ主からのパンだ」と言いました(出エジプト記16:15「これは、主があなたがたに食物として与えられたパンである」)。
そして、2000年前にこの世に生まれたイエスは、自らを「パンだ」と言いました(ヨハネによる福音書「6:48私は命のパンである」、「6:51私は、天から降って来た生けるパンである」)。しかし、多くの者の反応は「ヨハネ6:60これはひどい話だ。誰が、こんなことを聞いていられようか」と否定しました。また、きょうの箇所でも、一部の民たちは「6このマナのほかには何もない」と言ったとあります。
でも、今一度このマナの部分を、「イエス・キリスト」と置き換えて読んでみると、神が怒った意味も少しは理解できる気もします。神は、「イエス・キリスト」をくだらせ、民はその「イエス・キリスト」を食した。主は天から、食物として「イエス・キリスト」を賜った。神はこれ以上ない、最上で、十全と分かっているからご自身をささげた。でも、人間にはその思いが分からない。マナは、まるでその他の食事のひとつにすぎないかのように次々に他の食べ物を求めるという悲劇です。いのちのパンを振舞われる、作り手の思いを覚えておきたいとわたしは思います。
最後に、アンパンマンの作者であるやなせたかしさんが、作詞した歌「いのちのぱんをつくろう」をご紹介します。この歌は、パンをつくるジャムおじさんと、バタ子さんが、パンを作る時に歌っている歌です。「おいしいパンをつくろう/生きてるパンをつくろう/いのちがけでつくろう/いのちのパンを」(やなせたかし作詞『生きてるパンをつくろう』)いのちがけで、いのちのパンを与えてくださった造り主の思いに対して、わたしたちはどのようなコミュニケーションをとるでしょう。

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