誰一人取り残さない!生への転換

2023年10月1日の礼拝より
 
「誰一人取り残さない!生への転換」  永松 博
イザヤ書3章12~15節

わたしたちは、いま激動と転換の時代を生きています。COVID-19の世界的大流行による激動で生活様式は一変し、この社会にあった格差も浮き彫りにされました。その裏ではIT技術が急速に浸透し、新時代への転換も加速しています。その他、地球環境の悪化による災害が頻発し、日本も含め国際社会では持続可能な開発目標(SDGs)が掲げられ「誰一人取り残さない」ために具体的な行動が求められている時代です。わたしたちは、いま複雑で不明瞭で先が見えない時代の中で、新たに具体的に生き方を変えることが求められています。
イザヤも具体的な転換が求められる時代を生きた人でした。イザヤが暮らしていた小国(南ユダ)は、当時の超大国(エジプト、アッシリア)が弱体化したこともあり半世紀もの間、経済的に栄え、政治的にも安定していました。しかし、イザヤが預言者として立ち上がった時代はその繁栄と安定も終わろうとしていたのです。にもかかわらず南ユダの中心人物たちは、過去の安定や繁栄の名残に浸っていました。また、神殿でたくさんの犠牲や献げ物を捧げ、祭司もその恩恵に満足して、だれ一人社会の中で生きづらさを抱えて耐えている人のために立ち上がろうとする者はいませんでした。また当時は、富み、献げ物をする人は敬われ、神からも祝福されていると考えられる一方で、貧しく献げ物も礼拝もできないような人は問題のある人で、神から呪われているとさえ思われていました。そんな中、「主は救い」という名を持つイザヤは、自らの置かれた時代の問題に取り組む預言者として立ち上がりました。イザヤは、当時の人たちの信仰心を偽善だと批判します。貧しい人を抑圧する構造そのままに得た献げ物をささげて敬われ、満足する信仰は膿んでおり、神への冒涜だと、当時の信仰者たちの耳には痛い言葉を語りました。民の目を覚まさせ、具体的な生き方へと転換を指し示すためでした(イザヤ書3章14-15節「あなたがたは、ぶどう畑を食い荒らした。貧しい者からかすめとった物は、あなたがたの家にある。なぜ、あなたがたはわが民を踏みにじり、貧しい者の顔をすり砕くのか」と万軍の神、主は言われる)。イザヤの言葉は、いまの時代とも重なりわたし自身にも鋭く刺さり新たな転換の生へとわたしを招きます。そして転換の生は、わたしたち自身が抱える生き辛さや、愛する者の苦しみからの解放と救いとも地続きです。わたしたちは善を学び、公平を求め、連帯し、信仰的決断をもって向きを変えて生きましょう(イザヤ書1章10~20節)。教会もこの世にあって誰一人取り残さない神の国を本気で生きていきましょう。

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