「シェマ(שְׁמַע)」は、この箇所で5回出ました。うち4回は、神がサムエルに民の声を聞けと命じ、それが聞き入れられる文脈。残りの1回は、民がサムエルと神の声を聞き入れなかった文脈(7節直訳「聞け(שְׁמַע)、民の声に」、9節直訳「聞け(שְׁמַע)、彼らの声に」、19節直訳「しかし民は聞き従うこと(שְׁמַעの不定詞)を拒んだ」、21節「そしてサムエルは聞いた(שְׁמַע)」、22節「聞け(שְׁמַע)、彼らの声に」)。
神、サムエル、民は、いずれも聞いていました。19節「サムエルの声に聞き従おうとはせず」と言われている民も、サムエルの言葉を遮ったり、黙らせたりしてはいません。しかし、民は聞き入れず、神とサムエルは聞き入れた点が違っています。
「シェマ(שְׁמַע)」が意味する射程は、聞くだけではなく、変化することが含まれています。一方から発せられた空気振動が、単に他方の鼓膜を揺らすだけでなく、その空気振動に込められた一方の意図や想いが、他方の全身や存在自体を揺さぶり共振させ、何らかの影響を及ぼし、変化を引き起こすことを含んでいます。
「シェマ」という言葉を調べる中で、発達心理学者のジャン・ピアジェ(1896-1980)と、教育における発達の基礎理解を知りました。ピアジェは、「シェマ」を「認識の枠組み」の意味で、子どもの認知の発達過程の説明に用いました。曰く子どもは、「認識(シェマ)」→「今の認識(シェマ)で外界を理解」→「外界の事象に合わせて認識(シェマ)を作り変える」、を繰り返して認知機能を発達させていく。そのとき子どもの認知機能の発達には、外からの働きかけ(受動的経験)だけでは不十分とのことでした。子ども自身の主体的な外界への働きかけによる理解、そして認識を作り変えることが認知機能の発達には必要だというのです。
さらに発達は、従来子どものものであり、大人は発達の完成形と理解されてきました。しかし、近年では死ぬまで大人も発達すると理解されています。大人の場合、量的発達(体力、記憶力)は不可能でも、質的発達(深い考え、理解)が可能です。
これらの意味で言えば、読者を失望させるような民の愚かさや悪行も、神とサムエルだけは、民の成長(認知の発達)を願い、民の成長段階に必要な業(聞き入れて自らを変化)をなしたとは言えないだろうかと読みました。また、いまこの閉じゆく世界でもなお「いつか必ずこの声が聞かれる日が来る。この振動が必ず全身と存在を振るわせ、変化を引き起こす」と信じて聞き入れる存在がいるならば、ほんとうに救いです。さらに、神や老齢サムエルが、民によって量的発達へと促されたとすれば、そこに相互の関係を感じ、やはり救われる思いがするのです。
